〇山行日:2022年4月28日(木)~5月4日(水)
〇メンバー:立田(L)、上原、藤原、篠川
〇報告者:篠川
〇記録
4月28日(木):移動日
午後半休を取った藤原が篠川をPU、3時頃には立田邸に到着、立田車に荷物を積みかえ、中学校前の路上で上原をPU、午後の東京をゆっくりと北アルプス方面に向かう。連休前の道路は混雑し、都内を抜けるのに時間がかかる。
高速を松本ICで降りてしばらく走り、波田駅に近接する「デリシア」で最後の買い出し。立田Lが言うように、ここは平湯方面に向かう際の貴重な買い出しの場です。
そんなこんなで宿泊地である新平湯温泉到着が遅くなり、かろうじてオープンしていた喫茶カフェ兼夜は居酒屋「よつば」で遅めの夕食。ちょっと癖のある主人から「明日は天気悪いよ~。まぁ、遠くから来ているから仕方ないか・・」などと言われる。
宿泊先は素泊民宿「ほらぐち」にて、ここは良い宿、客は我々のみ。ひと風呂浴びて、共同装備の受け渡し。家から持参してきた荷物に加え1日目と2日目の夕食が私の荷物に加わり、ザックはパンパン、荷物がおっっ重い ~~ 大丈夫か俺??
4月29日(金) 天気:曇りのち雨のち雪
3時起床4時出発 ~ スタート地点 5:15 ~ 寺地山 11:00 ~ 北ノ俣避難小屋 13:00
車で飛越トンネル方面へ。4月上旬のフジコの記録など参照し、和佐府の部落からの歩きを覚悟していたが、ゲートを越えて飛越トンネルまで約1.2キロの地点まで車で移動することが出来た。
ここ2週間ほどの高温と雨で、積雪量が急減したようで、明らかに雪が少ない。テント装備と5日分の食料に加え、渡渉用の長靴やイワナ釣り用の釣り竿、焚き火用の鋸や焚きつけ用の新聞紙まで持参したうえでシートラすると、もうやばいほど荷物が重かった。
飛越トンネルから小一時間の急登で尾根筋まで上がると、かろうじて雪がつながっているので、シール登行に切り替える。黙々と歩き続けるが、いかんせん距離が長い。細かなアップダウンをこなしながら進み、途中の急な下りで大コケしたりして徐々に体力が削られてゆく。寺地山を巻く道で難儀し、そうこうしているうちに雨が本降りになり、北ノ俣避難小屋への最後の登りでは完全にバテバテでした。
この日入山していたのは我々の外はワンパーティーのみ。北ノ俣避難小屋は構造が高床式になっているので、我々は床下にテントを張って雨をしのいだ。上のパーティの足音などがよく聞こえ、なんかネズミみたいだなと思ったけど、雨をしのげるだけでも良かったです。
夕食は焼肉。疲れた体に塩味の焼肉がジワっと沁みました。
4月30日(土) 天気:晴れ
4時起床6時半出発 ~ 北ノ俣岳 11:00 ~ 赤木沢大滝上 12:00 ~ 黒部源流BC 15:00
夜はかなり冷え込み、テント生活の初日はいきなり厳しいものとなった。テント撤収にもなんとなく力が入らない。しかし、日が出てくると天気はそれほど悪くなく、スキーを履くとようやく本日のやる気が出てきた。
広大な雪面を淡々と登ってゆくと、徐々に主稜線が近づいてくる。ふと横を見ると上原がシートラに切り替えている。藤原はクトーの調子が悪いため少し前からシートラだ。一方で、立田Lはトラバース斜面をスキー履いたまま登行している。私もあまり深く考えずにトラバース斜面にスキーで一歩踏み出すとズルっと滑落しそうになる。下を見れば何百メートルもの広大な斜面だ。「これはやばい」と、ビビりながら窪地まで慎重に退避し、足場の良くない窪地でシートラに切り替えるが、足場の悪さに加え荷物が重くここで体力と時間を相当消耗してしまった。シートラ=荷物の重さを嫌がるあまり、実力以上のクトー登行に踏み出してしまったこと、大いに反省している。

そんなことで、主稜線への最後の登りはバテバテで、藤原に励まされながらなんとか北ノ俣岳に到着した。山頂では上原が「ここまで来れば勝ちですよ」と言ってくれたが、いやいや黒部はそんなに甘くはなかった。
当初、赤木沢上部までのきわめて広大でメローな斜面を存分に味わったが、徐々に谷幅が狭くなり、切り立った赤木沢大滝に行く手を阻まれることになる。ここでまたシートラして小尾根を乗っ越さなければならない。100メートルほどの登行を終えて、それなりの急斜面を滑っていると、前方を軽快に滑る立田Lが「うぎゃ」という声を上げ急に視界から消えてしまった。シュルンドに落ちたのだ。本人曰く、落ちる瞬間に反転し背中のザックから落ちたのでケガもなくスキーも取れなかったとのこと。様子を見ていると、ザックを下ろしてスキーを脱いで、深さ1メートルほどのシュルンドから出てきたら、スキーを履いてザックを背負って、何事もなかったかのようにまた滑って行ってしまった。はぁ~
その後も試練は続き、黒部源流へはなかなか近づけない。ところで、黒部源流ってそんな苦労してまで行く価値のあるところなんですか?という思いが否応なしにこみ上げてくるころ、ようやく本日の目的地でありBC地点である黒部源流に到着した。
ちなみにそこは、ごく普通の河原でございました。でも、普段来られない場所に来られたという喜びをちょっぴり感じたりもしました。
テントを設営し水汲みを終えると、藤原は雪を削って4人掛けのテーブルとイスを作り、そのころ上原はイワナ釣りにトライするが残念ながら釣果には至らずでした。
夕食は上原シェフ謹製グリーンカレー。これは本当に美味しくて、辛い物が苦手な藤原もぺろりと平らげておりました。そして、夕闇迫るころまで黒糖焼酎のお湯割りを飲みながら、4人で楽しく歓談したのでした。
5月1日(日) 天気:みぞれのち雪
停滞日
出発前の Mountain Forecastによれば本日悪天とのことで、予想通りの天気になった。最新の情報を入手しようにも、黒部源流では携帯電波はもちろんラジオすら入らないので、外界の情報は一切入手することが出来ない。やることがないので基本的にずっと寝ているしかないのだが、それは寒くて長い夜への序章だったのかもしれない。
夜になると気温もぐっと下がり、ある者はシュラフの薄さに苛まれ、またある者はエアマットのパンクに苛まれ、長く苦しい時間を過ごすことになる。
ひたすら天候の回復と朝になることを祈っていたのは私だけであろうか?
5月2日(月) 天気:晴れのち曇り
4時起床6時半出発 ~ 黒部五郎岳10:00 ~ 黒部源流BC14:00
出発前の Mountain Forecastによれば今日の天気は微妙であったが、起きてみると意外と良い天気でがぜんやる気になってきた。
ウマ沢右岸上部の台地を詰めるルートはとても快適で、黒部五郎に向けて順調に高度を上げてゆく。途中特に危険個所もなく、スキーを履いたまま黒部五郎の山頂に到着した。
さて、どこから滑るのか・・・頂上から直接はさすがに無理なので、通常は黒部五郎の肩まで戻り、そこからカールに滑り込むというのが一般的だ。しかし我が隊は、頂上を越えたルンゼ状のところを滑ることに決定したようだ。立田Lは「大丈夫だよ、金山沢と同じだよ」などとテキトーなことを言っているが、どう考えても金山沢より急峻じゃないですか。。。

その時、「覚悟を決めろ!」と上原が吠えた。そうだ、もう行くっきゃないんだ。
初めに立田Lが飛び込み、続いて上原、藤原と視界から消えてゆく。次は俺の番だ。そろりと斜滑降で斜面に入ってしまうともう誰にも止められない、行くっきゃないんだ。シュルンドにつかまらないように、岩に激突しないように高度を下げてゆく。すると自分が異様な興奮状態にいることに気づく。これがアドレナリンか!
急峻な斜面を滑り降りると、そこには広大なカールが待っていた。あまりに広大すぎて雪酔いするような斜面を思い思いにシュプールを描きながら下ってゆく。至福の時間だ。
しばらく下ってゆくと五郎沢が実に穏やかな渓相を見せるようになる。そこで大休止を取りつつ、上原には再び釣り師として竿を振るってもらうことにしたが、ここでも釣果には至らなかった。個人的には、だから釣りは、、、
五郎沢から黒部本流に向かう途中に若干難儀する箇所があったものの、むしろ楽しい春山スキーの一場面といった趣で無事BCに帰着した。
いよいよ明日は黒部源流から脱出する日だ。
5月3日(火) 天気:晴れ
1時半起床4時半出発 ~ 北ノ俣岳9:30 ~ 北ノ俣避難小屋11:00 ~ 車に戻る17:00

今日は長丁場になるので、早出を心がける。基本的には来たルートの少し上を歩いて北ノ俣岳を目指してゆく。赤木沢大滝のあたりで若干の局面があったものの、下りよりも登りの方が気楽に進むことが出来る。しかし長い。とにかく長かった。
皆クタクタになりながら北ノ俣岳に到着。風が強く寒いのですぐに下山に取り掛かる。途中夏道をスキーを手で持って下ると、ようやく2550mで雪がつながってくる。スキーを履いて下り始めると、登りの際に私が苦戦したトラバース箇所に差し掛かった。するとここで、立田Lがアイスバーンにバランスを崩し「あっ」とか言って滑落してしまった。大丈夫かな、でもウィペット持っているから止めることはできるかな、などと心配していると数メートル下から斜滑降で復帰してきた。不死身かよこの人は。
北ノ俣避難小屋の上部は最後のご褒美バーンで、皆思い思いのシュプールを描いてゆく。が、お楽しみはここまで。あとは飛越トンネルまでの長く苦しい下山が待っているだけだ。
下山の途中、斜度がかなり緩くなる箇所があり、寺地山と神岡新道分岐の中間で私は残りの3人とはぐれてしまった。3名には探索などで時間と労力を空費させてしまい、大変申し訳ないことをしました。この場をお借りしてお詫び申し上げます。
はぐれてしまって心細くはあったものの、ここはもう単独行の心持で前に進むしかない。途中でキジを撃ったりしてかなり気ままに進んでゆくと、最後のシートラの局面で3人と再会を果たすことが出来ました。良かったです。しかしそこからもスキー登山だか藪漕ぎだかよく分からない道がしばらく続き、ようやく明瞭な夏道に出て飛
越トンネルに降り立ったときはホッとしました。
飛越トンネルからひと歩きで車に戻ると、入山時には我々の車だけだったのが、ずらりと車が並んでいます。皆さん天候を見極めて入山しているんでしょうかね。
さて、下山したのち車で移動しつつ、これから以下3点を決めなければなりません。
・入浴場所
・夕食場所
・宿泊場所
これらのうち夕食場所については、上原が10年来熱望している新平湯温泉の「奈賀勢」
は7時までに入ればOKとのことで一件落着。ところが宿泊場所については何軒電話しても連休中のため一杯との回答。これには困ったさぁ風呂はどうするということで、宿泊を断られた栃尾温泉の民宿「富久の湯」に再トライすると中国系女将から入浴については快諾をもらい、こちらも一件落着。とても気持ちの良い温泉で、汗を流し体を洗い髪をすすいで、ちょうど7時ごろに「奈賀勢」に入店しました。
「奈賀勢」では餃子やサラダなど定番おつまみも頼んだのですが、何といってもお店の看板料理であるホルモン鍋「てっちゃん」がめちゃくちゃ美味しかったです。何とも言えない甘味とコクが体に染みわたり、ビールと一緒に飲み干すと体中の細胞が生き返ってくるような気がしました。
さて、「奈賀勢」で勘定を済ませて車に戻っても、肝心の今日の宿泊場所が決まっておりません。立田Lの千露里庵に行くしかないか~などと話していると、立田Lのご友人であるK氏から「今日はウチに泊まっていいよ」という何とも得難いご進言があり、甲斐大泉にあるK氏のご自宅に向かったのでした。
K氏邸では、ワインやビールなどを軽く飲みながら、山行を振り返ったり、立田Lの昔の武勇伝に目を丸くしたりしながら、暖かな気持ちで熟睡することが出来ました。
5月4日(水):帰宅日
早々にK氏邸を辞去し帰京しました。東京では街路のつつじが満開でした。
なお、オプションで計画していた常念岳は中止としました。
<最終日インシデント(道はぐれ)について・・・立田付記>
あとは太い一本のトレースを雪が尽きるまで滑走するだけ、そんな最終局面で1:3にはぐれてしまい、2時間ほどのロスタイムが生じてしまった。反省点等は以下の通り。
◆お互いを視認しながら滑走するといった点がこの時、なされていなかった
◆トレースは1本だけというのは思い込みで右にもう一つトレースがあった
◆3人が腰を下ろした地点から10mくらい右下のトレースを1人が行ったが、傾斜のある樹林帯でお互いが見えなかった。
◆見えなかった=まだ下りてない との前提で上部の探索に時間を費やした
◆別トレースの探索も行い、発見し、通り過ぎてしまったに違いないと気づく
◆1人がGPSや地図を持っているか、はっきりとは確認していなかった為、現在位置を把握の上、正しく1人で下山しているかについて一抹の不安が生じることとなった
◆途中で会った単独行の人が4人からはぐれた1人が先を行っていると聞き、一安心
思い込み、油断している、緊張感が欠如している時、お互いを視認すると言った基本行動も漏れ、インシデントに至る。お互いの個人装備をしっかり把握していることにより、行動予測もより確度が高まる。以上、肝に銘じました。

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